久しぶりに会う義母は身体は特に問題なく、自分の息子と嫁の顔はわかっていた。孫は自分の思考の範疇よりあまりに大きくなりすぎていたみたいだった。
義母を連れて行く道中、記憶の断片を繋げて、思考の中のおしゃべりを全て口に出してしているようだった。
幼少期いったり、何度も、何度も、「どこにいくの?」と聞き、
何度も何度も「イサムさんのところだよ」と伝える。
「イサムさんって、わたしの旦那さんか?」というところまでは記憶が蘇るが、そこから両親、兄弟が出てきて、自分の親がもう死んでるのか?など、過去の記憶のあっちこっちに飛んでいく。というより、ある記憶をつなぎ合わせようとしているように感じる
ロウアーセルフの世界しかないところに入り、泣いて、怒って、
「もう、こんなふうでは生きてたくない」
「死んだ方がまし!」
とものすごい被害者オーラで巻き込むエネルギーでわたしたちを引っ張っていこうとする。
義父の顔を見ると、出てくるのは喜びよりも、「なんでわたしを一人にして、あんたはこんなところで寝ているの!」ハートが苦しくなる対応だった。
義父は病状の進行のせいなのか、認知症はないけれど、能面のような無気力の顔で、問いかけに対してもうなづくしか応答はない。
義母は「わたしね、ここの近くに住むんで毎日、ここに通ってきます」
といったり、
「もう、わたしを一人にしないで!一人は寂しくて嫌だー」と泣いたり。
義母を認知症専門の施設に送り届ける間の車の中で
「あんた、あの近くのところに住みたいから、おうち探してよ!」
「でも、それは寂しいから、あそこに一緒に住めるように電話する!」
と自分の息子に、責め立てるようにいう。
そのエネルギーから子供の意識に入ってしまう、わたしの旦那さんも怒りながら答えるも、わたしたちが一緒にいる、というエネルギーからここが中和される感覚だった。
いざ、義母の施設の前に車が着くと「そうそう、ここ、わたしのところ」と、慣れ親しんだ感覚に安心、安全を感じる職員さんたちのエネルギーで今までのことがなかったように、施設の中に入っていった。
頭の中の過去と未来にしか生きていない。
認知症は脳の機能の障害という疾患ですが、その脳の機能の場所は身体と思考と感情が司るところに起こる。
「今をにいる」は意識的に居続けなければいられないところ。
戦中戦後に生まれ
今にいたら、生きられない現実の世界が幼少期であったこと。
高度経済成長という未来しかみないで生きてきたこと。
外側の世界に翻弄されて生きる以外の方法を、知らなかった。
『コロナ禍』という外側の世界がいま、繰り広げられている。
わたしたちの生きる道を人生を持って魅せてくれてる彼らの姿。
自分もそうなるかもしれない。
たくさんのエネルギーと感覚を身体で体験した出来事でした。
\ わたしのこころ わたしのからだ /
目に見えないけど、必ず何かが動いてる。
それが「運」と「勘」と言う、自分にはどうにもできないものだと思っていた。
持って生まれた運命は変えることはできなくて、持って生まれた生得的な感覚はどうにも自由には扱えない…そう思っていた。
それを全く覆すは学びとなったのがキャラクトロジー心理学です。
次元を超える多角的なもの見方と、生得的性格が誤解というトラウマからおこっているということ。これを自分の体験と自分の内面にひたすら、ひたすら、アクセスすることで、想像の範疇を超える現実に今いるというわたし。
そして、今まで、天職だとまで思ってきた、看護師の仕事から、人という未知なる生命体のこころと身体との繋がりのご誤解が、病気や人生の不具合に影響をしているということを知り、そこからどうしていくことが心地よい自分でいられるのだろうか。
そんな、目に見えないものから、わたしが持つ、超感覚知覚とか、身体から出てくる言葉を伝えています。