(子どもショートステイの1年から 1 からのつづき)
お母さんは自分の体調の浮き沈みがあり、何度も発達検査の予約をしてもキャンセルしてきました。
保育園で預かってくれていればお母さんにとっては発達検査に行こうが行かまいが何も変わりません。
いく意味が見い出せないよな、と思っていました。
でも今回、1年生に上がると言うところで自分の生活にも大きく変化が起こることに意識が向けられたことで子供に発達検査を受けさせ、放課後デイを利用することになったのです!
よかった。
今まで保育園先生や相談員さんに「行って」と言われてる言葉は必要性の意味も見いだせないことと、受けいれづらかったのかもしれません。
先生や役所という権威のあるとこから言われることば「劣等感」を感じたのかもしれません。
子育ての点数をつけられるような感覚。
わたしたちが身につけさせられてきた「点数」によって自分の人生を決められる学校という感覚に容易に入っていきます。
今回はわたし自身もとても困った『小1の壁』の体験と、お母さんが楽になる方法ならなんでもサポートを受けるといいんだと言う感覚からの伝えたことが伝わったのだと感じています。
実際、検査を受けて、『サポートが必要な子』と言われたとき、ホッとしたと言われてたそうです。
自分の子育てができてないから
自分がダメな人だから
みんなと同じにできないから
お母さんはこうやって自分で否定して続けて、拒絶の反応として、保育の先生や役所の人にきついことを言ったり、他の人の言葉を受け取らないをしていただけなのだと思う。
今回、ここまで来れたのも、彼女と直接、会うことをしていたこと。
彼らの子育てを1人でやっていることをいつも褒めてきたこと。(子どもたちに、お母さんがブチギレする気持ちはよくわかる!と言ってしまいます(⌒-⌒; )
1年ほど関係性を持ち、続けてショートステイに来てくれたからこそできたサポート。
子どもに狂気の行動にでてしまう親の気持ちは
『誰も助けてなんかくれない。この方法しかもうない。』という親自身がが子どもの時から持つ孤独のところからの行動。
お母さんを孤独から救えば緊急一時保護をする必要は格段に減ります。
一緒に子育てする家族
そんな養育里親として活動していきたいねと、家族で話しています。
\ わたしのこころ わたしのからだ /
目に見えないけど、必ず何かが動いてる。
それが「運」と「勘」と言う、自分にはどうにもできないものだと思っていた。
持って生まれた運命は変えることはできなくて、持って生まれた生得的な感覚はどうにも自由には扱えない…そう思っていた。
それを全く覆すは学びとなったのがキャラクトロジー心理学です。
次元を超える多角的なもの見方と、生得的性格が誤解というトラウマからおこっているということ。これを自分の体験と自分の内面にひたすら、ひたすら、アクセスすることで、想像の範疇を超える現実に今いるというわたし。
そして、今まで、天職だとまで思ってきた、看護師の仕事から、人という未知なる生命体のこころと身体との繋がりのご誤解が、病気や人生の不具合に影響をしているということを知り、そこからどうしていくことが心地よい自分でいられるのだろうか。
そんな、目に見えないものから、わたしが持つ、超感覚知覚とか、身体から出てくる言葉を伝えています。