わたしの中の仕事の概念。
それは時間を渡して、対価をもらうという世界でした。
そこに、ちょっと特殊な技能(看護師という知識や技術)があるから、その分上乗せされる。
それが「お金を稼ぐ」の世界でした。
わたしの父は自営業で大きなモーターを修理することをしてました。
職人という言葉がとてもぴったりで、自分がやりたいという仕事は『そこまで修理代出せない』という小さな会社の取引先には『俺がやりたいから、お金なんかいらん』と言って修理し
かたや、大企業で、俺様的な物言いで仕事を依頼してくるところには、『そんな仕事はいくら金積まれてもやらん!』と追い返す。
それをいつも母は咎めていた。
それでも、父には仕事が絶え間なく依頼があり、よくよく、聴くと「一度たりとも営業したことない」と母は言っていた。
晩年は相当額のお仕事で儲けがあり、仕事をすることが何より大好きで、「仕事ができなくなって死にたい。仕事の後の人生は余分な人生だわ」と10年、彼のいう余分の人生を闘病で生きていた。
わたしが今までしてきた「お金を稼ぐ」という概念は母のエネルギーを採択してきたのだろうと。
彼女は幼少期から自営業の理髪店で育ち、感情起伏の職人の夫に嫁ぎ、いつもお金の工面をしていたからこそ、子供たちには苦労しない『サラリーマン』を推奨していたのでしょう。
お金の概念が変わり始めたのが看護師として就職し、夜勤三昧で休みは寝てばかりの2年間に膨大な金額が通帳にあることに気づいたとき。
お金があっても、幸せじゃない。
そこから30年近く。
今、あの父の仕事のやり方がわたしが生きる世界には必要な感覚なのだろうと、やっとわかってきた。
いろんなところから、新しい企画や。「こんなの応募してみない?」と助成金の情報。
エネルギーとして、この、やりたいところを動かすことが、自分の糧となっていく。
このやり方は遺伝子レベルで持っている。
自分の内側の世界でどう広げていくか。
それが自ずと自分の外側に創造するということなのだと、やりたいことへのエネルギーを注ぐ『今』があることをに『満たされる』を感じる
\ わたしのこころ わたしのからだ /
目に見えないけど、必ず何かが動いてる。
それが「運」と「勘」と言う、自分にはどうにもできないものだと思っていた。
持って生まれた運命は変えることはできなくて、持って生まれた生得的な感覚はどうにも自由には扱えない…そう思っていた。
それを全く覆すは学びとなったのがキャラクトロジー心理学です。
次元を超える多角的なもの見方と、生得的性格が誤解というトラウマからおこっているということ。これを自分の体験と自分の内面にひたすら、ひたすら、アクセスすることで、想像の範疇を超える現実に今いるというわたし。
そして、今まで、天職だとまで思ってきた、看護師の仕事から、人という未知なる生命体のこころと身体との繋がりのご誤解が、病気や人生の不具合に影響をしているということを知り、そこからどうしていくことが心地よい自分でいられるのだろうか。
そんな、目に見えないものから、わたしが持つ、超感覚知覚とか、身体から出てくる言葉を伝えています。