こころのこと

養育里親日記〜養育里親の立ち位置〜

前回、いろんな出来事があり、定期的に利用されるだろうと、家族で日程を調整していたが、一向に連絡がない。

連絡がなければ必要ないのだろうが、お母さんが精神のお薬を飲んで呂律回ってないことや、原因不明の嘔吐が続く子どもの様子。

わたしたち家族はとても気になって、「連絡あった?」と誰もがわたしに聞いてくる。

 

そうだよね。やっぱり気になるよね。

こちらから里親の相談員さんに連絡してみる。

「そうなんですよ。お母さんの担当の相談員さんが移動になって、そこから連絡ないんですよね。聞いてみます。」と。

とにかく、経由がたくさんあるようで、わたしたちは待つしかなく。

 

それでも、予定している日の数日前になっても連絡なく、やっぱり、気になるので連絡したら、やっとお母さんが預かりの申請書を書きにくる日程が決まったけど、体調悪くてきてないので。と。

だんだん、イラッとしてくるのは、とても遅々として動かない形式と、なぜか粗末にされている感覚。

ほんの数日前にに決定となり、今回も来ることになった。

 

くると何か起こる彼らたち。

まあ、今回も様々な感情的反応を起こしてくれる出来事がばかり。

 

ブロックを鼻に詰めて取れないと大騒ぎ。

わたしの看護師経験と実際に起こった後の対処と動き方。

最悪、窒息して救急車案件になる可能性も含む出来事とわかっている。

 

これが知らずしてやっているのではなく(年齢的にブロックが何かがわかってない訳ではなく)、無意識レベルで注目してほしいから行動となっているのもわかる。

 

息子が全力疾走で自宅にピンセットを取りに行き、母がライトを照らして、娘が羽交締めで身体を固定し、わたしが抜き取る。

 

連携プレーでことなきを得たが、まあ、起こりますねえ。

 

そんなこんなで今回も終わった一時預かり。

 

相談員さんに今後はどんな立ち位置でいればいいのかが、とても不明瞭な感覚だったのでお話しを聞いた。

根本的にはお母さんが自分で大変だからお願いしたいというところから、動くものであり、こちらからみて、いくら危うい親子だとて、依頼があってから動く ということがいいのかなと感じた。

その時、里親側は無理して受けるのではなく、できそうであればでいいこと。

ほんとうに必要であると感じているかどうかは母親の思いしかない。

 

外側からみて、かなり荒んだ生活をしていたとしても、それをいい悪いは外側のわたしたちが判断するものではない。

もしかしたら、困った時、預かってくれるところがあるよね。ということだけで、わたしたちの役目は満たされているのかもしれない。

 

離れる時、子どもが泣く姿に心を痛めているお母さんの様子は何度か感じていた。

こうやって、改めてまとめてみて、わたしたち家族が「ここにいる」ことが里親家族としての立ち位置なのかもしれないと感じています。

今回はたくさん、たくさんうちの前の公園で遊んだこと

 

息子のキャッチボールをしていた楽しそうな顔

(写せないので遠目ですが(⌒-⌒; )

 

全ては体験するからわかること。

たくさんの体験をわたしたち家族もしていきたいと思っています。

ABOUT ME
筑井由紀子
筑井由紀子
ヒーラー、カウンセラー、心理学講師として活動をしています。 この学びの中で心と体のつながりと病気との関係、人生の不具合との関係の深いつながりを感じています。 日本の医療、介護の世界で働く人たちに心のサポートが当たり前になる世界を作りたい。 養育里親として、社会で子供を育てる世界をつくりたい。 夫と子供と暮らすアラフィフ 女子です。
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\ わたしのこころ わたしのからだ /

目に見えないけど、必ず何かが動いてる。
それが「運」と「勘」と言う、自分にはどうにもできないものだと思っていた。

持って生まれた運命は変えることはできなくて、持って生まれた生得的な感覚はどうにも自由には扱えない…そう思っていた。

それを全く覆すは学びとなったのがキャラクトロジー心理学です。
次元を超える多角的なもの見方と、生得的性格が誤解というトラウマからおこっているということ。これを自分の体験と自分の内面にひたすら、ひたすら、アクセスすることで、想像の範疇を超える現実に今いるというわたし。

そして、今まで、天職だとまで思ってきた、看護師の仕事から、人という未知なる生命体のこころと身体との繋がりのご誤解が、病気や人生の不具合に影響をしているということを知り、そこからどうしていくことが心地よい自分でいられるのだろうか。

そんな、目に見えないものから、わたしが持つ、超感覚知覚とか、身体から出てくる言葉を伝えています。