こころのこと

子ども短期入所生活援助〜はざまをみる〜

定期的に兄弟がくるようになって

わたしたち家族も彼らの行動やお母さんの状況などから、いろんな思いや感情が動いていきます。

 

幼児が母親から離れて過ごすことは子供にとっての安心、安全を構築することから考えると、こころにかかる負担は大きな傷になることと思います。

お母さんが、自分自身を保つことが出来ず、そこに、孤独と孤立が起こってこればなおさら、混乱が起こってくるのは当然だと思います。

お母さんが行政にサポートを求めたことで、子供と離れる時間が取れたこと、お母さん自身のサポートに相談員さんたちが介入していくことで、いろんなことが見えてきました。

 

今回、下の子が激しい嘔吐が滞在中にありました。

前回も一度あったのですが、今回は何も受け付けないほどの状態となり、受診レベルの状態となりました。

看護師の経験から、胃腸風邪の嘔吐ではない感じがあり、なんか違和感が多くあるも、身体は水分も受け付けないのは事実であり、夜間救急受診を決めました。

 

一次救急の小児科の先生も首を傾げながら、「熱ないしねー」と。養育里親で一時預かりしていて、お母さんがかなり精神的に不安定な状態が預かる前に続いていたことを話しすると、

「ちょっと、二次救急で大きなところにいって調べてもらった方がいいね」と。

 

そこから、大きな救急病院に行き、レントゲン、採血、点滴。

レントゲンの結果、便が詰まってるとのことで浣腸して、排便すると、とりあえず落ち着く。

 

ここまで、この子はほぼ泣き叫ぶことなく、レントゲンも採血(針を刺す時のみ泣いていました)も浣腸も抵抗せず、されるがままを無表情で受け入れていく。

その姿がこころを引き裂かれるほどの痛みを感じていました。

4歳の子どもが母親もおらず、病院に行き、痛みを伴う処置をされても何も抵抗しない。

子どもが子どもらしくいられない。

 

一緒に病院に連れて来てくれた旦那さんも彼の姿に心痛めていました。

「お母さんと子どもをバラバラにしてサポートすることって、何もいいことないと思うんだよな。」

一連のことを子どもたちの担当の相談員さんにお伝えすると、お母さんがお母さん側の支援員さんやケアマネさんとの関係性の拒絶の出来事があること、お母さん自身は子どもたちの世話をきちんとできない自分を責めてしまうこと。

 

話を聞けば聞くほど、根底にある必要なものは

「母子共々安心、安全を感じられること」

そんな感覚でした。

 

安心、安全を感じるために必要なのはコミュニティ。

命の危険に至るまでにはあまりにも短絡的な構造として「離れれば起きない」というところから何が歪んでいる気がします。

新しいコミュニティの形、新しい家族の形を妄想して、現実化に意識を向けていきたいと今回の出来事は真に感じたショートステイ事業でした。

ABOUT ME
筑井由紀子
筑井由紀子
ヒーラー、カウンセラー、心理学講師として活動をしています。 この学びの中で心と体のつながりと病気との関係、人生の不具合との関係の深いつながりを感じています。 日本の医療、介護の世界で働く人たちに心のサポートが当たり前になる世界を作りたい。 養育里親として、社会で子供を育てる世界をつくりたい。 夫と子供と暮らすアラフィフ 女子です。
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\ わたしのこころ わたしのからだ /

目に見えないけど、必ず何かが動いてる。
それが「運」と「勘」と言う、自分にはどうにもできないものだと思っていた。

持って生まれた運命は変えることはできなくて、持って生まれた生得的な感覚はどうにも自由には扱えない…そう思っていた。

それを全く覆すは学びとなったのがキャラクトロジー心理学です。
次元を超える多角的なもの見方と、生得的性格が誤解というトラウマからおこっているということ。これを自分の体験と自分の内面にひたすら、ひたすら、アクセスすることで、想像の範疇を超える現実に今いるというわたし。

そして、今まで、天職だとまで思ってきた、看護師の仕事から、人という未知なる生命体のこころと身体との繋がりのご誤解が、病気や人生の不具合に影響をしているということを知り、そこからどうしていくことが心地よい自分でいられるのだろうか。

そんな、目に見えないものから、わたしが持つ、超感覚知覚とか、身体から出てくる言葉を伝えています。