子どものショートステイ事業を受け始めて半年が経ちました。
6月は日程の都合で、預かれない状況となり、里親専門相談員さんも、どうしようかななあと。
すると、養育里親仲間の方が受けてくれることになりました。
どうも、私たちが受けている兄弟はショートステイの中でもでのかかる部類に入る子らしく(⌒-⌒; )新しく受ける里親さんは不安があるとのこと。
そりゃ、そうよ。わたしたちもまさに手探り状態での関係性の構築で、こんなにいろんなことが起こるとは!
里親専門相談員からその里親さんと筑井さんがLINEとかで繋がってもいいですか?と連絡が。
それはもちろんOKですが、ここに、お母さんの相談員さんとか、実親さんとかとも一緒に話はできないのか?
と投げかけてみる。
うーん、それは、ちょっと難しいかも。と。
え?なんで?
今の状態で、1番孤立しているのは子どもたちのお母さんだよね?
そんな感覚を持ちながら、里親仲間さんとLINEで繋がり、こちらで過ごす時の様子や、こんなもの食べるよ、とか、こんなことで遊んでるとかの情報交換をしました。
もちろん、色々あった、救急搬送事件やブロック鼻の穴事件も(^◇^;)
最終的には「なんかあってたら、娘と一緒に行くから呼んで!」と伝える。
そこから、なぜか、その里親さんと、里親専門相談員と顔合わせてお話しする機会ができ、
新しい里親さん宅で無事にショートステイを終えることができた。
こういうことは、初めてぐらいのことらしい。
里親同士が情報共有するとか、顔合わせて話しするとか。
どれだけ、古い日本の行政体質が抜けていない世界なのだろう。
ワンオペ育児を「わたしはやって来たからできて当然でしょ」とどこかで容認しているところとか
「お母さんなんだから」という呪いの言葉を役割がないと生きられない社会システムに組み込むように正当化していくとか。
子育ての終盤を迎えた今、何の役にも立たない言葉だったと実感できる。
今を生きるために必要のことから動いていく。
ママと子どもの世界を守るために。
\ わたしのこころ わたしのからだ /
目に見えないけど、必ず何かが動いてる。
それが「運」と「勘」と言う、自分にはどうにもできないものだと思っていた。
持って生まれた運命は変えることはできなくて、持って生まれた生得的な感覚はどうにも自由には扱えない…そう思っていた。
それを全く覆すは学びとなったのがキャラクトロジー心理学です。
次元を超える多角的なもの見方と、生得的性格が誤解というトラウマからおこっているということ。これを自分の体験と自分の内面にひたすら、ひたすら、アクセスすることで、想像の範疇を超える現実に今いるというわたし。
そして、今まで、天職だとまで思ってきた、看護師の仕事から、人という未知なる生命体のこころと身体との繋がりのご誤解が、病気や人生の不具合に影響をしているということを知り、そこからどうしていくことが心地よい自分でいられるのだろうか。
そんな、目に見えないものから、わたしが持つ、超感覚知覚とか、身体から出てくる言葉を伝えています。