子育てをしている時、どうしても気になるのが自分の子供の状態が何が起こっているのか分からなくて途方に暮れてしまう時。
自分に余裕があったり、周りに誰か他の人がいてくれるだけで、子供とのガッツリ組み合っている関係性を緩めることができるけど
近くに友人もいなくて、
旦那さんはほとんど起きてる時間に帰ってこなくて
会話をする環境がないワンオペ乳幼児期の育児はほんとに辛かった。
よくわからないことで、泣き、一瞬でもわたしの姿がないと血眼になって探しまわり
彼のご機嫌を取るために自分をがんじがらめしていた。
ほんと、なんで、そんなに、ビビリで泣くのよ。
音に対する反応が半端なく、どこに行っても泣き叫ぶ。
もう、20 年以上前のことであるから、子育ての思い出というところで、あったねー、あったねー というところに今はいられる。
その彼は今、clubhouseのアプリの中で何百人と聴きにくるroomで、モデレーター(そのroomを動かす司会者みたいな人)を最も簡単にこなしている。
相手が武田双雲さんという、彼が来たらたくさんの人が集まってくるところで
謙るわけでもなく、饒舌に話を引き出すのでもなく、むしろ、ほとんど喋ってない。
そう、人と喋るのはとても苦手な彼で、言語的な理解もかなり特殊な感覚を息子は持っていると思う。
「このroomさ、人が滞在する時間がめちゃくちゃ長いと思う。人数が少しずつ増えてるってことはそういうことなんだよ。なんか、心地いいんだよね。ここ」と双雲さんが言っていた。
これは、一体、なんなんだろう、と思っていた時、あーなるほどとわかる出来事があった。
わたしが絵本作家のぶみさんのroomに入って聞いていた。その中で、のぶみさんが絵本に色塗りしながら話していて、原稿が少し破れてしまった。
とても残念な感覚のエネルギーと、悲しくなるエネルギーをみせないように、他の話題に話を変えて、話していた。
ちょうど、息子が帰ってきて、わたしが聞いてるのぶみさんの声が耳に入ると
「なんか、のぶみさん、暗いね」という。
話題は面白い話をしていたのに「うん。なんか、暗い感じがする。いつもと違うよ。」
彼はかなり細かい感情レベルの周波数の音を聞き分けることができるのだろうと感じた。
小さな時、一度聞いた曲は大体覚えていて、ショッピングセンターなどで聴こえてくると「あ!これ、あの曲だね」と驚くぐらい当たっていた。
この子、絶対音感とかあるんだろうな。
それでも、全く音楽に興味を示さないから何もせずに今に至りますが。
あの乳幼児期の音に反応して泣き叫ぶのは音の周波数から聴こえてくることに、取捨選択できないから、パニックとなっていたのかもしれない。
彼はclubhouseで感覚的に人に話を振ったり、エネルギー的に調和をとったりするのが意識レベルではなく、無意識レベルで動かしていて、むしろ人の顔がないから、できると言っていた。
こんなふうに見る母もかなり特殊な感覚を持っているのだと思いますが(;^ω^)
キャラクトロジー心理学の学びがベースにあるから、困ったことを、エッセンスとして捉えられる言語的理解ができ、あの時、起こっていたことがこういうことだったこと、その裏側には個性的なことの広がりを感じることができるのかな。
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\ わたしのこころ わたしのからだ /
目に見えないけど、必ず何かが動いてる。
それが「運」と「勘」と言う、自分にはどうにもできないものだと思っていた。
持って生まれた運命は変えることはできなくて、持って生まれた生得的な感覚はどうにも自由には扱えない…そう思っていた。
それを全く覆すは学びとなったのがキャラクトロジー心理学です。
次元を超える多角的なもの見方と、生得的性格が誤解というトラウマからおこっているということ。これを自分の体験と自分の内面にひたすら、ひたすら、アクセスすることで、想像の範疇を超える現実に今いるというわたし。
そして、今まで、天職だとまで思ってきた、看護師の仕事から、人という未知なる生命体のこころと身体との繋がりのご誤解が、病気や人生の不具合に影響をしているということを知り、そこからどうしていくことが心地よい自分でいられるのだろうか。
そんな、目に見えないものから、わたしが持つ、超感覚知覚とか、身体から出てくる言葉を伝えています。