わたしたち夫婦は結婚25年を迎えました。
24歳の同級生で結婚し、27歳に長男、29歳に長女を授かり、子供を育てることで、たくさんの親としての体験をしてきました。
そんな子供たちも大学生となり、金銭的なこと以外は手がかからなくなって、夫婦で過ごす次のステップの時期になってきました。
旦那さんは子供と一緒にいることが好きなことのようで、息子と一緒に少年野球のチームに通い、コーチを引き受け、息子が退団した後もコーチとして子供たちとのふれあいをしてきたようです。
そんな旦那さんが、「早く孫が欲しい」と。
それはちょっと、違うくない?
子を持ちたいかどうかは本人の選択の世界じゃない?と思い、ふっと、すごく前に知った「養育里親」のことを思い出しました。
「ねえ、孫って、いうことは子供と触れ合う世界にいたいって、こと?それって、血縁とかきにするの?」と聞くと
「全然、そんなのどうでもいい。」
そこから、養育里親のことを伝えると、ネットで検索して、数日後には
「それ、俺にあってるって言われた。やろうかな」と。
一方、わたしはかなり前、訪問看護師を目指した時からから、「ゆりかごから墓場まで地域でサポートする」ということを将来の夢の一つとして、描いていたこと。
そんな漠然としたところから養育里親というものをやってみようということになったのです。
\ わたしのこころ わたしのからだ /
目に見えないけど、必ず何かが動いてる。
それが「運」と「勘」と言う、自分にはどうにもできないものだと思っていた。
持って生まれた運命は変えることはできなくて、持って生まれた生得的な感覚はどうにも自由には扱えない…そう思っていた。
それを全く覆すは学びとなったのがキャラクトロジー心理学です。
次元を超える多角的なもの見方と、生得的性格が誤解というトラウマからおこっているということ。これを自分の体験と自分の内面にひたすら、ひたすら、アクセスすることで、想像の範疇を超える現実に今いるというわたし。
そして、今まで、天職だとまで思ってきた、看護師の仕事から、人という未知なる生命体のこころと身体との繋がりのご誤解が、病気や人生の不具合に影響をしているということを知り、そこからどうしていくことが心地よい自分でいられるのだろうか。
そんな、目に見えないものから、わたしが持つ、超感覚知覚とか、身体から出てくる言葉を伝えています。